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カーネル・サンダースKFC起業までの歴史カーネルの名言と成功哲学!65歳からの挑戦

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引用元:KFC公式サイト

「KFCの創業者、カーネル・サンダーの人生を知っていますか?」

白いスーツにヒゲの紳士——KFCでおなじみのカーネル・サンダース。 しかし、彼の人生は一旦順風満帆ではありませんでした。

転職や失敗を繰り返し、65歳で無一文に。

この記事では、カーネル・サンダーの波乱万丈な人生と、彼が残した名言を紹介します。

彼の軌跡をたどることで、成功の秘訣やビジネスのヒントを得られるはずです。

「失敗しても諦めない」 ——そんなカーネルの生き方を紹介。

生い立ち~苦労の連続~

みんなが知ってるカーネルおじさん。

みんなが知ってるKFC。

本人の生い立ちからは、飲食業を始めるとは全く想像ができない物語がありました。

今日は、みんなが知ってるハズの「裏側」を紹介してくれる一冊です。

6歳の頃に父を亡くしたサンダースさん。

兄弟のご飯を作る才能はこの頃から芽生えていたようですが、10歳になると農家で働き始めます。

11歳で義理の父が生活に加わりますが折り合いが悪く、早くも自立を決意する事になりました。

軍隊に入隊したり、鉄道員として働いたり、弁護士になったりしたそうです。

そんな中で彼は「手を抜くとツケが回ってくること」「嘘は割に合わないこと」を学びました。また彼が自覚していた自身の特徴は「ガンコですぐカッとなる性格」だそうです。

一生懸命働くのですが、自分が正しい事をズバズバと主張するので転職を余儀なくされる一途さが、彼に様々な経験をもたらしました。

人生の転機~独立~

その後も保険外交員やセールスマンなど職を転々とします。

人一倍働いて成果を上げるのですが、30歳になって工場閉鎖に伴い解雇されてしまいます。

そんな時、仕事を通じて知り合った人からガソリンスタンドの経営を進められ、事業家としての一歩を踏み出しました。

彼は参加したロータリークラブのスローガン「他の人に最高のサービスをする人が、もっとも利益を得る人だ」「自分の利益のことを考える前にまず貢献すること」

を気に入り、妥協のないサービスを芯にすえた活躍が始まります。

他店には無いサービスを心掛け、朝は5時からオープン、道を尋ねただけでも車を掃除し、9時に閉店したあともタイヤ修理を夜中までやっていたそうです。

繁盛を続けたガソリンスタンドでしたが、今度は世界恐慌という世の中の動きによって廃業。またしても苦汁を飲まされますが、彼はあきらめませんでした。

いよいよ飲食業を始める

…と進む前に、彼はもう一度ガソリンスタンドを経営します。

前回の経験を活かし、宣伝に力を入れたので順調に事業が伸びていきます。

お客の喜ぶ顔を見るなかで、ある事に気づいたそうです。ガソリンを入れに来るお客さんが、お腹も空かせていることを。

最高のサービスを目指す彼は、すぐに行動します。

こうしてガソリンスタンドの片隅で6席だけのカフェ「サンダース・カフェ」が登場しました。

料理にも手を抜かない彼の店は、清潔さにも手を抜かないのでリピーターにも恵まれます。

いよいよガソリンスタンドのお向かいに本格的なレストランを開業する事ができました。

この時彼は40歳。まだまだKFCには辿り着いてもいない、山あり谷ありの人生です。

カーネル・サンダースの誕生

お客さんに好評な彼は地元でも有名な名士となり、ケンタッキー州知事から名誉称号「カーネル」を与えられます。

そう、カーネル・サンダースの誕生です。

ケンタッキー州にはカーネルと呼ばれる人が沢山いるそうです。

そんな彼がレストラン事業に集中し始めたところで火災に遭い、お店を焼失。

1939年、49歳の時でした。

ガックリした彼ですが、店では無く彼の料理を求めてくるお客さんの存在が奮い立たせます。

今まで以上に広いレストランを作り、再起を図りました。

ようやくフライドチキン、誕生か?

今までの飲食店でもフライドチキンは出ていましたが、彼の「パーフェクトを求める」追及心が、フライドチキンの原型を作り始めました。

しかし「彼の味を求める」声に応えるため、今までの味を変えることをためらいます。

数年間お客さんとの対話を交えて現在の味が完成、大好評になりますがここでも次の壁が。

質の次は量の問題でした。

圧力釜のデモンストレーションでグリーンピースの味付けが短時間で終わるのに驚き、使いこなす中で

「フライドチキンだって出来るかな?」とひらめきました。

「圧力釜で揚げ物をする」。一見すると使い方を間違えているかのような組み合わせですが、

秘密の工夫で素早く・美味しく・安全な調理方法を見出し、大量に料理を提供する道が開けました。

最後?の試練

ようやくKFCの主役が揃いましたが、彼は更に挫折します(涙)。

1950年代の好況で売上爆増!のはずが、全米をハイウェイ構想が覆います。

そう、道路端の彼のお店の前からお客が消えてしまうのです。

66歳にして彼は、ついに「もうレストランは無理だ」と思ったのです。

諦めない彼もいよいよ年貢の納め時…

貯めたお金も無くなった彼は廃業します。年金暮らしで余生を送ろう…。

全世界のKFCに

「年金支給額は月に105ドルです」という通知を見てビックリ。

これでは悠々自適に暮らせない。そんな彼はKFCの最後のピース「フランチャイズ」を思いつきます。

味と製法を伝え、その売上分をロイヤリティとする構想は斬新で、なかなか広まらなかったそうです。

レストラン経営者に会い、試食してもらい、お客さんの反応に納得してもらって導入してもらう。

この時の姿が、白いスーツのヒゲおじさんだったそうです。

白のスーツは鉄道員時代の名残。目立つ格好で試食をしてもらったお客さんと店舗に印象付ける。

この繰り返しを66歳から始め、74歳で事業承継するまで続けたそうです。

まとめ ~諦めて、諦めない~

彼の人生、如何でしたか?

転職・失業・罹災・社会的情勢変化に「あきらめ」、次の仕事・料理法・売り方を「あきらめない」。

彼のように、自在な出処進退が出来ると、最後は幸せになると思います。

「屏風と商売は真っすぐに立たない」という格言の一例だと思いませんか?

お店の壁に汽車の絵が描いてありますが、KFCが出来るまでのワンシーンだったんですね。

気になった方は、文芸社文庫 カーネル・サンダース(藤本隆一著)を手に取ってみてください。

  • この記事を書いた人

nokonoko

仕事や趣味(ピアノ)に一生懸命!!色々なことに興味を持って、楽しく情報発信をしています。

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